この本を知ったのは、熊井明子さんのエッセイ”私の部屋のポプリ”に紹介されていたから。極めて貧しいことを赤貧と呼びますが、廣子さんはその度合いを”これはたぶん赤でなくピンクいろぐらゐのびんばふ”と表現されていて、熊井さんはその感受性にロマンチシズムを感じ、自分のエッセイに紹介されておりました。
その他にも、うっとりするやうな言葉の幾つか。人には言えない自分の気恥ずかしい部分を、私は間違ってないのだなと、心がふっと楽になるやうなエピソードの幾つか…etc。本を超えて、ひとつの宝物のやうです。
“東北の家”という一節の中に”袷(あわせ)ではまだあついくらゐの名ばかりの秋であった”という一文があるのですが、今様になぞらえるなら、”季節はもう秋だけど、長袖のTシャツだとまだ暑いよね”といった具合でせうか。廣子さんの文は、今の方から見ると、まわりくどく感じられるのではないかと思うのです。でも私はあえて多めに、原稿用紙の升目を使って季節を表すことへの美しさを感じ、私もこうでありたいと本を胸に抱えひとりうっとりいたします。
情緒育まれる秋の夜長かな。
