“燈火節”という本 片山廣子

この本を知ったのは、熊井明子さんのエッセイ”私の部屋のポプリ”に紹介されていたから。極めて貧しいことを赤貧と呼びますが、廣子さんはその度合いを”これはたぶん赤でなくピンクいろぐらゐのびんばふ”と表現されていて、熊井さんはその感受性にロマンチシズムを感じ、自分のエッセイに紹介されておりました。

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その他にも、うっとりするやうな言葉の幾つか。人には言えない自分の気恥ずかしい部分を、私は間違ってないのだなと、心がふっと楽になるやうなエピソードの幾つか…etc。本を超えて、ひとつの宝物のやうです。

“東北の家”という一節の中に”袷(あわせ)ではまだあついくらゐの名ばかりの秋であった”という一文があるのですが、今様になぞらえるなら、”季節はもう秋だけど、長袖のTシャツだとまだ暑いよね”といった具合でせうか。廣子さんの文は、今の方から見ると、まわりくどく感じられるのではないかと思うのです。でも私はあえて多めに、原稿用紙の升目を使って季節を表すことへの美しさを感じ、私もこうでありたいと本を胸に抱えひとりうっとりいたします。

情緒育まれる秋の夜長かな。

投稿者: Tsuyako

アンティークやヴィンテージの香水敏やコンパクトなどのヴァニティアイテムやロマンティシズム漂う雑貨のオンラインショップ”薔薇色の艶子”の店主、艶子と申します。 好きな香りと音楽、本、ちょっとのお酒に珈琲、甘いデザートと路地裏に満たされて、こっくりとロマンティシズムにうっとりとノスタルジックに艶子の日常を綴ります。 どうぞ召しませ。

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